熊本の自然に囲まれた小学校ばかりを転々としていた私にとって、初めて通う大阪の小学校は、驚きと戸惑いの連続でした。
大阪市内にある都会の学校は、運動場が驚くほど狭く、50メートル走は斜めに線を引いて走り終えたら鉄棒にぶつかるほど。
休み時間には光化学スモッグの警報旗が立ち、外で遊べないこともしばしばありました。
教室では、女子の中にリーダー格の子が二人いて、派閥のようなものがあったり、じゃんけんの掛け声や「坊さんが屁をこいた」という遊び歌の言葉も熊本とはまったく違ったりと、慣れるまで必死でした。
けれども、何より大きな変化は、母と一緒に暮らす日常が始まったことでした。
昼も夜も生活費を稼ぐために働き続ける母に代わり、祖母が変わらず家事の中心を担ってくれていましたが、母の仕事が休みの日には、三人でホットケーキを焼いたり、ハンバーグやポテトサラダを作ったり──私にとって、それは「家族らしい時間」そのものでした。
冷蔵庫にはいつも、私の好きな桃の缶詰やアーモンドチョコレートが入っていて、それを祖母が「美味しいねー♪大阪にきて良かったねー」と笑いながら一緒に食べてくれました。
幼い私は、その言葉をただ無邪気に喜んでいました。
けれども、大人になった今、もし自分が祖母の立場だったら──と考えることがあります。
遠く離れた熊本で、母の代わりに私を育ててくれた年月。ようやく母と暮らせるようになった私を見ながら、祖母はどんな気持ちでその言葉を口にしていたのだろう、と。
祖母の笑顔の奥にあったであろう複雑な想いを、あの頃の私は知る由もありませんでした。
それでも、三人で過ごしたささやかな食卓の記憶は、今も心の中であたたかく輝き続けています。